まだ新型コロナウィルスが世界中に拡散する少し前、2月下旬の連休を利用してタイ・バンコクを訪れました。
私たちにとっては東南アジア、熱帯モンスーン気候へのはじめての訪問で、日本はまだ冬の真っ最中、コート無しにはすまない気候から一気に真夏30℃超えの世界への飛行です。到着は夕方だったので少しは安心できましたが、それでも日本の空港で衣服をできるだけ軽装のものに取替えて、体調管理に気を使いました。
バンコクの交通インフラは大都市そのものです。私たちの予約したホテルは商業の中心地サイアムにあり、空港から高架線を走る電車を乗り継いで着いた駅は地上4階建てのホームの3階で、改札口は地上2階、その下は車道になっていました。また、改札階からは高架線左右にある商業施設とダイレクトにつながっていて、私たちのホテルからは車道を渡らなくとも商業施設の中を貫通する斜路を通り抜け直接改札口に行くことができ、とても便利でした。
夜、高層階のホテルの部屋からは露店のあかりがきれいに見えました。
朝になってホテルの部屋からは高架線と背後の高層ビル、そして、ビルに囲まれた色鮮やかな寺院が見えましたが、この組合せはやはりバンコクならではのものでしょうか。
チャオプラヤー川の風景
大きく蛇行しながらバンコクを南北に縦断するチャオプラヤー川とそこから広がるいくつかの運河では大小さまざまな船が行き来していて、人々を運ぶ水上バスはじめさまざまなものを運搬しています。有名な水上マーケットには今回訪れることが出来ませんでしたが、水上交通は今でも日常生活で重要な役割を担っているようです。タイシルクで有名なジムトンプソンの旧家も東西に流れる運河に面していて、対岸のシルクを織る工房から水運を利用して製品を運搬していたそうです。
チャオプラヤー川の沿岸には王宮や大きな寺院がいくつも面していて、この川がバンコクの表通りであったことがよくわかります。
王宮近くの船着き場では、土産物や飲食店など観光客相手の商店が軒を連ねていました。以前は昔の江戸の河岸(かし)のように倉庫や市場などの風景が広がっていたのでしょうか?今でも一部にはそのような風景が見受けられました。ひと昔前の日本のように川の水は汚れていて、プラスチックなど生活用品が漂っていましたが、これだけ生活に根付いているので、これから意識改革が進むのでしょう。
車でアユタヤ方面に進むにつれて田畑と町が交互に繰返す風景が続く。田畑が続く中にも決まった間隔のように露店やバイクの物売りが突然現れ、簡単にしつらえた店の奥には日差しを避けて寛ぐ人々が見えます。炎天下に簡単な日よけテントを広げただけの店もあり、たまに現れるお客を相手の商売は日本ではなかなか考えられないものです。
バンコクの緑
チャオプラヤー川の河口近く、起伏の少ない平野にあるバンコクは、グーグルアースで見ると背後の広大な田畑に囲まれています。市内で時たま見かける樹木は見慣れた高さの割にやたらと幹が細いものが多く、成長がいかに早いかがよくわかります。ジムトンプソンの旧家はタイの伝統的な住居形式を踏襲した高床式の建物で、隣接して小さな庭がありますが、そこの植物の成長ぶりを見るとまさにこの地域が熱帯モンスーン気候であることを実感します。その庭は手入れされているものの、まるで小さなジャングルのようです。
台湾でも雨樋などに雑草が繁茂しているのに驚かされましたが、ここの植物は勢いがさらにすごい。ちょっと油断をすると街は植物に侵略されてしまうようです。人々の生活する都市部は最小限に面積を抑え、この中だけはしっかりと植物を管理していこう、という感じです。伝統的な高床式の建物のピロティからみる庭は美しく、風が通り抜けひんやりしていて風土にあった住形式だと納得できます。ねこの居場所にもなっています。
まとめ
4日間の滞在での断片的な印象しか話せませんが、タイは、近代主義の洗礼をやわらかく受流しながら、伝統的な生活に根付いた豊かな風景を作り上げているように感じます。そのあたりが現代建築のいくつかにも現れているようです。次回はそのあたりを話してみたいと思います(ht)。