2010年 10月 14日
日本の都市の裏街を歩いていると植物に襲われたかのような建物に突然出くわすことがあります。そこは確かにあるのに何か日常の中で忘れ去られたような場になっています。
多くは廃屋なのですが中には現役の倉庫や店舗などであったりして、さらに驚いてしまいます。
きれいに手入れされていれば見た目も良いのでしょうが、多くの場合、外観はちょっといただけません。蔦がからまる洋館といった風情ならばまだしも、瓦屋根などの和風の建物だとさらに悲壮感さえ漂ってきます。窓の位置がわからなくなるほどに生い茂った植物におおわれた外観は不気味です。夏が高温多湿の日本の場合、人類が滅亡したりしてこの都市からいなくなったらすぐに、街中がそんな風景になることが予想されるからなおさらです。だから、そんな店舗を見つけてもなかなか入ってみる気はしませんでした。
ところが、そんな建物の中から外の風景を見る機会がずいぶん前に水戸でありました。アトリエ・ワンが行ったインスタレーションでそんな廃屋を中から見たのです。そこは蔦におおわれた蔵造りの室内だったと思います。簡素な椅子がいくつか置いてあるだけで、あとは何もない室内から窓を見るとそこに植物の葉が風と光にゆらめいています。そのときはちょっと感動してしまいました。こんなに心地よい窓辺の風景は予想外の驚きです。遠いむかしの森と人間の関係、ルソーの絵の密林の情景などを視覚的に思い出してしまいます。
外観もそれなりに楽しくて都市風景の中でも十分に成立し、もちろん、内部からは豊かな木陰を満喫できるような建物が試みられはじめています。植物を通した風や光はとても魅力的です。しかし、植物を行儀良く育てる大変さを考えるとどうしても人工的な木陰をいかにつくるか、という方向に進みそうです。それとも、そんな風景を内部でも楽しみたいと考えるのは人間のエゴで、外部でこそ体験すべきものなのでしょうか。(ht)
古い和風料理店の植物におおわれたテラス
金沢21世紀美術館での日比野克彦インスタレーション
多くは廃屋なのですが中には現役の倉庫や店舗などであったりして、さらに驚いてしまいます。
きれいに手入れされていれば見た目も良いのでしょうが、多くの場合、外観はちょっといただけません。蔦がからまる洋館といった風情ならばまだしも、瓦屋根などの和風の建物だとさらに悲壮感さえ漂ってきます。窓の位置がわからなくなるほどに生い茂った植物におおわれた外観は不気味です。夏が高温多湿の日本の場合、人類が滅亡したりしてこの都市からいなくなったらすぐに、街中がそんな風景になることが予想されるからなおさらです。だから、そんな店舗を見つけてもなかなか入ってみる気はしませんでした。
ところが、そんな建物の中から外の風景を見る機会がずいぶん前に水戸でありました。アトリエ・ワンが行ったインスタレーションでそんな廃屋を中から見たのです。そこは蔦におおわれた蔵造りの室内だったと思います。簡素な椅子がいくつか置いてあるだけで、あとは何もない室内から窓を見るとそこに植物の葉が風と光にゆらめいています。そのときはちょっと感動してしまいました。こんなに心地よい窓辺の風景は予想外の驚きです。遠いむかしの森と人間の関係、ルソーの絵の密林の情景などを視覚的に思い出してしまいます。
外観もそれなりに楽しくて都市風景の中でも十分に成立し、もちろん、内部からは豊かな木陰を満喫できるような建物が試みられはじめています。植物を通した風や光はとても魅力的です。しかし、植物を行儀良く育てる大変さを考えるとどうしても人工的な木陰をいかにつくるか、という方向に進みそうです。それとも、そんな風景を内部でも楽しみたいと考えるのは人間のエゴで、外部でこそ体験すべきものなのでしょうか。(ht)
古い和風料理店の植物におおわれたテラス
金沢21世紀美術館での日比野克彦インスタレーション
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by wstn
| 2010-10-14 18:04
| ht
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