1993年の香港1
|
私たちが香港を訪れたのはまだイギリス統治下の香港で、最初の海外旅行でヨーロッパに行った1986年からすでに7年も経過した1993年でした。その間には龍馬記念館コンペがあり、その後の独立、事務所の設立などで慌ただしく自分たちの環境が大きく変化した時期です。そして、1993年3月は龍馬の仕事が一段落し、次の仲町台地区センターが始まる直前だったようです。少し落着いて、また、海外旅行したい気持ちが湧いたときに、気軽に行けるツアーで行きました。ツアーと言っても団体行動が課せられるのは行き帰りの飛行機とホテル、あと半日のお土産品巡りぐらいで、比較的自由に自分たちが行きたい場所に行けました。香港に行ったのは、当時、「野武士」と呼ばれた世代の建築家たちがアジアに注目していて、西欧にはないもうひとつの都市の風景とそこに暮らす人々の活力を見直す風潮に私たちも刺激され、一度手軽な香港で見てみたかったからだと思います。
2000年の返還前、香港で有名だった水上生活者の舟の集落が撤去されつつあり、私たちは行かなかったですが、「九龍城」と呼ばれた空港近くの有名な集合住宅群は、もうすぐ撤去という情報があり、どんどんとアジア的なエネルギッシュな世界が失われはじめた時期だったようです。それでも、今の香港よりはずっとおおらかな世界だったでしょう。
近未来的な風景とアジア的な近代都市が同居
予備知識があまりなく、いきなり行ったので、香港には九龍半島の先端部分と対岸の香港島の2つの地域があり、半島側は本当にアジア的な混沌とした近代の都市風景を形作っているのに対し、香港島の半島側にはまさに近未来的な風景が広がっているということを改めて認識しました。それでも、香港島の内側に入り込んでみると、確かに超高層ビルが林立しているのですが、集合住宅のベランダ部分が増築されていたり、低層部には突出し看板があったりして、整然とした街並みにはない人々の活気が現れています。
タイガーバームという膏薬をご存じない方もいるでしょうが、私たちの世代では、一度は使ったことがある塗り薬の鎮痛剤です。その名を冠した庭は元々、その薬の製造・販売で財を成した一族の住まいだったようです。住まいと聞くと驚いてしまうような環境ですが、成金趣味の強い何々御殿と呼ばれるものは世界中にあり、そのひとつの典型のようでした。私たちが行った頃は土地の売却が進み、周辺には高層マンションが迫っている状況でしたが、今ではその一部の建物が残されているだけで、庭園は閉鎖されたようです。私たちは結構、楽しい時間をそこですごしました。ワンパターンではあっても、強い活力を感じることができます。
香港は今、どうなっているのでしょう?この経験は結構貴重なものだったのかも知れません。(ht)