エルサレム
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エルサレム旧市街は小高い丘の上に広がった街です。しかし、全体は盆地状に中央部が低くなっていて、聖地とされる「嘆きの壁」や「岩のドーム」はその中央部に位置しています。案内してくれたイスラエルの友人は、街全体が見渡せる周辺部に立ちながら、それが一般的な聖地(高台にある)と異なるところだと説明してくれました。新たに建てる建物はすべて伝統的な建材と同じ石で建てるように法律で定められているので、遠望すると砂色のモノトーンの中で、「岩のドーム」の金色の屋根やブルーの壁、樹木の濃緑が目に映えます。また、石の棺がそのままに連なるシーンは、ここが特別な聖地であることを強烈に実感させます。
ここには、イスラエル博物館があります。しかし、私たちが訪れたのはその敷地内にあるFrederick John Kieslerが設計した死海文書の展示館「死海写本館」 (Shrine of the Book) です。

キースラーは幻想的で胎内的な建物模型などで有名ですが、実作は少なく、今でも見られる唯一の建物ではないでしょうか。

有名なキースラーの建物模型
その特徴的な外観は一見抽象的なものですが、実は巻物が納められていた壺の蓋をかたどったものだということに驚きました。

実際に巻物が納められていた壺と蓋
友人の説明によると、古代の聖書はもちろん手書きの一品物で、とても大切に何世代にも引き継がれていくものですが、古くなってボロボロになってしまうとしょうがないので新しい写本に代えられます。しかし、それ自体聖なる存在とみなされ、簡単に廃棄するようなことはせず、丁寧に壺に納めて埋葬されたということです。それが後世になって発掘され、このようなかたちで一部だけが展示されています(内部は撮影不可でした)。展示室自体も地下空間で、中央には巻物の芯に当たる柱?があり、まさに、埋葬されている状態を見に訪れたというような設定です。白いタイルで覆われた建物と対峙するように、黒大理石張りのモノリスが意味ありげに建っています。
建物のシンプルなかたちの力強さと、そこに秘められた物語性の豊かさに感動します。


全体の断面図
また、ここの屋外彫刻庭園はイサム・ノグチの設計です。
博物館の建物から離れるに従って上昇する敷地は波打つ擁壁によって縁取られています。

これは中央部が低いエルサレムの街全体の関係と同相です。擁壁の立上りは人が腰掛けるのにちょうど良いぐらいの高さに抑えられているので、擁壁のエッジはそのまま空に連続するような印象です。

ちなみに、この壁の高さはパラディオのロトンダ、森の墓地などさまざまな場所で経験した高さですが、残念ながら今の日本では法規の関係で体験することが難しいスケールになってしまいましたが、先日、谷村美術館で見つけました。


上ってゆく途中にいくつかの彫刻が空を背景として立ち上がっています。

地面には砂利が敷き詰められていて歩くたびに音がしますが、これをイスラエルの友人は「日本」と形容していました。確かに神社にゆくと境内は砂利敷きのところが多く、歩くたびにジャリ、ジャリ、と音がします。それを「日本」と形容したのでしょうが、イサム・ノグチもそんな音の効果を意識したのかも知れません。
日本に生活していると当たり前すぎて見えないことが、外国の知人の指摘で気付かされることは良くあることですが、案外日本では音風景を大切にしているのかも知れません。
このように、エルサレムとイスラエル博物館は一部に訪れただけでしたが、見どころ満載で、私たちにとっては気軽に行ける場所でもないので、なおさら貴重な体験でした。(ht)