2014年 03月 20日
瀬戸内の島・まち
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今年3月はじめに瀬戸内を訪れました。今までに直島や犬島、瀬戸内芸術祭の時には小豆島や豊島にも行きましたが、行く度に瀬戸内の風景のなかに見つけられる歴史の厚みや文化水準の高さに驚きました。特に水運が中心だったころには、瀬戸内は永くひとつの先端を担う文化圏だったのでしょう。直島では民家のつくりの立派なことに、小豆島や豊島では棚田の石積や水路のみごとさなどに目を奪われました。水運の急激な衰退の影響で見捨てられたまま、島であるために新たな開発の手が届きにくく、古くからの町並みなどが捨て置かれたのが幸いして一部では残っています。
今回訪れた大崎下島の御手洗は瀬戸内海の激しい潮目の変化に対し、良い潮時を待つための港として繁栄したようです。時間待ちの水夫たちを相手にした花街としても賑わったとか、全国花街の番付表というもののかなり上に御手洗の地名がみえます。上陸できない貧しい水夫のためには「おちょろ舟」という小ぶりの舟に遊女3~4人乗せて出前までしたそうです。
町は近年の台風の被害を受けてその復興を機に昔の町並みを美しく再現させています。
まちを歩いてすぐに気づくことはスケール感が小さいことです。道が狭いし建物の軒は低い。道が狭く真直ぐでないのは平たい土地の少ない港町の特長のひとつ。軒の高さは私たちの身長が伸びたことを実感させます。しかし、とても居心地が良い。
もうひとつは格子などの外壁に添えられた花で、人々のホスピタリティー(おもてなしの心)を感じて気持ちも和みます。直島ではアート祭期間中に色鮮やかな暖簾がアーティストの作品として家々の入口付近に掛けられていたことがありましたが、ここでは民間のボランティアか家々の住人かが毎日、自主的に行っているようです。
対岸の町でも同様の試みがされていましたが、こちらは背景のすだれが汚れていたり花が枯れていたりして、ちょっと心が痛みました。
対岸の町ではすだれが汚れ、持ちの良いアオキの葉が飾られていました
京都の町家などには通りに向かって家々が家宝や花などをプレゼンテーションする場所があったりします。その簡素な例ですがなかなか美しい。自分たちの自慢のためではなく、まちを愛しみ、楽しく、美しく自分たちで飾り、自分たちや訪れた人々のためにも控えめに演出しようという心は地方にはまだ生きているようです。竹富島で毎朝、道を掃き清めるのも同様な心でしょう。「おもてなし」を快くできるためには当事者がその町や文化を心から愛していることが基本条件です。大崎下島は今では多彩な柑橘類の産地として生業を確かに築いてきました。少しの経済的な余裕も文化の継承にはやはり必要なようです。
もうひとつの犬島は銅の精錬所跡をミュージアムにしたことが有名で、すでに一度訪れたことはありましたが、今回は以前にはなかった妹島和世さん設計の複数のギャラリーとアート作品を同時に見て回りました。ここは御影石の採掘場としても有名だそうで、港周辺には大きな岩がゴロゴロしています。ミュージアムの方は時間の制約なくフリーに見られること、地元の人々がガイドとして参加していたことが以前と変わっていて好感をもちました。風が吹きつける海岸沿いの小高い丘周辺に建つ精錬所跡では、精錬の過程で出来上がるガラスと金属との重量感あるレンガの壁・床が海や御影石との対比で存在感をもって迫ってきます。
それとは対照的に妹島さんのギャラリーは風を避けた小高い丘裏側の集落の中にあり、アクリルやアルミでできたものは蜃気楼や白昼夢を見ているような美しくてハカナイ印象です。その弱々しさ(エフェメラルなこと)がかろうじてこの環境の中で踏み止まれる条件のひとつのようにも感じられます。
アート作品の中では、御影石採掘場で作業員2人がピッチャーとバッターとなり、石のボールを打ち続ける映像が印象に残りました。巨大な採掘場にふたりだけで、時折吹き付ける風音の中で、打った石の音だけがかぼそくこだましている。住民たちの高齢化と産業の衰退で、アートでの観光活動がなければ静かに廃墟と自然に移行するだけの島たちの運命と重なってみえます。(ht)
ギャラリーに隣接する廃墟の物置
by wstn
| 2014-03-20 15:37
| ht
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