2013年 01月 05日
アートと建築2
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数年前から妻有をはじめとして各地でアートによる町おこしが盛んですが、それはアートが社会的な役割を持ち始めたということでもあります。
1996年オランダ、アルクマーで川俣正さんがドラッグやアルコール依存症の人々とともに、沼地に木製で手作りの遊歩道を架け、身体を動かして何かを作り上げることを患者の人たちにもう一度体感してもらう、という活動記録が発表されました。そのとき、アーティストと呼ばれる人々の活動が本当に自由で、目に見えるかたちで社会的な意味をもつことも十分可能だということを実感しました。
アプローチの窓枠
外壁は港で荷揚げに使う木製パレットで覆われた
1階ホールは天井までパレットで覆われた
2005年横浜トリエンナーレに関わったときには、アートの対象がとても身近で些細なことまで含めて、ずいぶんと多様化していることを知りましたが、特に、人々との「コミュニケーションの場をつくる」という動きが、さまざまなかたちで展開されていることがわかりました。運動競技を通して、さまざまなゲーム、ピンポン、果てはおいしいコーヒーを提供するという行為を通して、人々に交流の場を提案していくことがアーティストの活動の中にしっかりと位置づいてきています。2005年横浜トリエンナーレでは、コスゲというアーティストのグループが巨大なサッカーゲーム盤を会場に設置しました。私たちもそれで遊びましたが、巨大なので、たまたま居合わせた見ず知らずの者同士がチームを組んで戦うことになり、そこで自然と交流が生まれます。深いものではありませんが、協力し、ゲームを成立させようとする中で、人間の基本的な優しさなどを体験、共有することができました。
コスゲの巨大なサッカーゲーム盤、観客席はアトリエ・ワン設計
建築の主要なテーマのひとつとして、人々のさまざまな活動をフォローし、交流を促すということが挙げられます。しかし、場所ができてもそこでの活動をうまく展開させていくには、関わる人々のコミュニケーション力が重要です。むしろ、場所など仮設であっても、魅力的な人々が集まれば、そちらの方がより効果がありそうです。そんなことを考えると、人のちからの強さ、建築空間のちからの曖昧さを思い知らされます。もちろん、両方のちからが補完し合ってより大きな効果をあげられると期待しているのですが・・・。
建物は一度完成されると、そう簡単に変更できません。空間の自由度を追及すると性格が曖昧で魅力に乏しいものになりやすい。永く愛されて使い込まれる、個性ある建物を設計したいものです。(ht)
by wstn
| 2013-01-05 11:47
| ht
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