2012年 06月 18日
森の墓地1
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昨年夏にデンマークのコペンハーゲンから2日間だけスウェーデンのストックフォルムを訪れました。アスプルンド設計の図書館や森の墓地、礼拝堂にぜひ訪れてみたいと思ったからです。実際に訪問し、特に森の墓地はとても良かったですが、それを印象的な言葉だけではなく、整理して表現することが難しく、今までブログに書けずにいました。まだ、その良さを表現できるとは思えないのですが、すこしでも整理したいと思います。
森の墓地の始まりは1914年のコンペです。翌年、結果が発表されアスプルンドとレヴェレンツの「松林」という案が最優秀に選ばれました。たまたま見つけた資料でコンペ案のドローイングを見ると、深い谷をつくり礼拝所を設けたり、十字架からはじまる松林の薄暗い道があったり、ゴシック風の尖塔を備えた建物が黒々と描かれていたりと、全体に深い森にわけいるような印象です。
コンペ案全体配置 下部敷地を横断する道路よりアプローチ
アプローチの十字架の道
外部礼拝所の断面 「The Valley」
その後、1920年にアスプルンド設計の「森の礼拝堂」が完成、1925年にはレヴェレンツ設計の「復活の礼拝堂」が完成します。復活の礼拝堂は古典的なファサードを備えた建物ですが、写真をみると建物内部は天井が高く、装飾が抑えられたシンプルな内部で、側面から祭壇に向かって射し込む光が印象的な空間のようです。人々は祭壇に向かって一様に並びます。
復活の礼拝堂外観 東側祭壇のため内部は90度振られる
森の礼拝堂も当初は古典的な建物だったようですが、その後の旅行を挿んで変更され、外観は急勾配の寄棟屋根と円柱のピロティーを組み合せたものになります。民家風でもあり、純粋幾何学を組合せた新古典主義の建物のようにも見えます。四角い部屋に半球のドームを載せた内部には頂部から外光が入り、中央に置かれる棺を照らします。人々はそれを取囲むように座り、故人を追悼するのでしょう。
森の礼拝堂外観
森の礼拝堂内部
両者を比べると、復活の礼拝堂はヒロイックで厳粛、森の礼拝堂はより親密な空間になっているように思われます。
1922-24年にはとんがり屋根の事務所棟(現ビジターセンター)がアスプルンド設計で完成しますが、その後はしばらく動きがなく、ようやく1940年にアスプルンド設計で火葬場はじめ、3つの礼拝堂と十字架まわりのランドスケープが完成します。設計は1930年ごろからアスプルンドに一任され、レヴェレンツははずされています。
そして、このとき、敷地全体に大きな変化が生じます。それは、メインのアプローチが南の森から北の芝生の丘に移ったことです。その結果、墓地は芝生の丘が前面に広がる明るい印象の場所に変わり、森は背後に控えるかたちになりました。
現在の全体配置 上部よりアプローチ
初期コンペ案がもっていた深く薄暗い森のイメージが背後に退いたかたちです。現在、私たちが思い浮かべる「森の墓地」の印象はこのときにできたといって良いでしょう。
その年にアスプルンドは55歳の若さで死去、その後をレヴェレンツが引受け、ランドスケープの調整と1961年に追悼の丘を完成させます。ここは、死者の灰を撒く共同墓地のある丘のようです。残念ながらそこへは行きそんじたのですが、写真で見るとアプローチは初期コンペ案のイメージに良く似ています。つづく(ht)
by wstn
| 2012-06-18 19:43
| ht
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