2012年 06月 02日
竹富島の道
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先日、竹富島を訪れる機会に恵まれました。岡本太郎の写真集はじめ、さまざまなメディアで映像が紹介されており、以前よりそれら魅力的な風景に一度は訪れてみたいと思っていました。青い海と赤がわらの軒の低い民家、個々の民家を取り巻く石積みの塀、入口前のヒンプン、毎朝住民に掃き清められるサンゴ砂の道などイメージは豊富にそろっています。沖縄地方はどこでもそのような風景が広がっていたのに、戦争や都市化の波に洗われてほとんど残っていない。竹富島はそのような懐かしい風景が残る数少ない場所のひとつです。
東京から2時間半、さらに那覇空港から1時間のフライトで石垣島着、高速船で10分ほどで竹富島の桟橋に降り立ちました。
わかった気でいた竹富島で一番驚いたことは集落面積が小さく中央部に3集落ある以外は周囲をぐるっと「密林」に覆われていることでした。
最盛期には2000人以上だった人口が今では350人ほどで集落の数も減り、水の良い中央部に人が集まり、もともと集落や畑だった土地も密林に還っていったということだそうです。
町の高台に登ってみると、町を取り巻く新しい道を境に、外縁に密林が広がるようすがわかります。
その密林を切り裂いて道が数本、海へと続いています。
北に伸びるミシャシミチ
いくつかは桟橋ですが、あとは特別な場所に向かっての道のようです。太陽が昇る東にはナーラサミチ、沈む西にはコンドイミチ、北にはミシャシミチ。ナーラサミチ沿い、ミシャシミチ端部には御嶽(うたき、オン)と呼ばれる聖なる場所が複数点在しています。
東に伸びるナーラサミチ
いくつかの御嶽を見て回りましたが、岡本太郎が言っているように、樹林のなかに何もないすがすがしさが広がります。町なかから離れた御嶽の中は踏みしめられていないので地面の感触がやわらかく、石灰分が多いので木の葉も灰色に変色していて、抽象画のようなパターンができあがります。
周囲が単一だとそれを貫く道が図として明快に浮かび上がります。都市部では震災後や戦災後の都市風景の中に一瞬そんな風景が現れます。たくさんあるにもかかわらず(むしろ数がありすぎるためなのか)意識に上りにくい道がここ竹富島では主役にもなっています。
密林を切裂く道だけでなく、町なかの道もそれぞれに風情があります。町なかの掃き清められた道と車の轍、周辺部の薄暗い坂道、花に飾られた道などなど。あらためて道の存在感に気づかされた旅行でした。(ht)
薄暗い周辺部から町なかを見る 遠くに観光施設の水牛が曳く車がみえる
西側の西表島への桟橋は海の道の出発点
by wstn
| 2012-06-02 16:35
| ht
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